お仕事帰りやお休みの日など気軽にスポーツのできる公園
パーク&ライドについて 

当公園は自動体外式除細動器(AED)を設置。詳しくはこちら
園内には、公園の色んな景色を楽しみながら歩ける「ウォーキングコース」があります。 1周550m程のお手軽コースなので、小さいお子さんを連れてのお散歩にも最適です♪
途中途中に、ベンチも設けていますので、のんびりゆっくりマイペースに四季折々の 風景を楽しみながら歩いてみませんか?

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起点/終点ウォーキングマップ地図をよく見て スタートしてね(^^)/ |
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100m地点春は、桜が並びとてもキレイ(☆。☆) |
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200m地点宇治川派流を眺めながら、心穏やかに ウォーキング♪ |
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300m地点春は桜吹雪。夏は新緑の木陰。 秋は紅葉 冬は木漏れ日。 最も四季感じる地点 |
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400m地点なだらかなスロープを下ると小さい公園が。童心に返って、遊んでみるのもアリかも!? |
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550m地点公園の周辺風景はいかがでしたか!?もうゴールは目の前! |
◎ シューズはウォーキング用・ジョギング用のものを。
◎ つま先が当たらず、適度に余裕があって、ひも靴を。
◎ 実際に履いてみて、靴底の柔軟性をチェック。
「ウォーキングコース」で歩くことにも慣れてきたし、気分転換に違うコースも歩いてみたい♪
歩くことが楽しくなってきて、園内だけでは物足りなくなってきた方には、こちらもオススメ♪
伏見港公園周辺のガイドマップです。
伏見は、歴史に縁のある土地です。
地図を見ながら伏見歴史散策はいかがですか?
情緒溢れる伏見の町を歩いて・見て・触れて・感じて満喫してみてください。
もちろん、心だけでなく、お腹も満たしてくれる美味しいお店もいっぱいです♪
その昔、三十石船が行き交い、水上交通の中継地として栄えました。
一度は幕を閉じた舟運でしたが、伏見開港400年祭では、淀川舟運の歴史を伝えようと十石舟の運行が復活しました。
現在、十石舟は4月~12月の間ほぼ毎日運行しており、歴史と四季に彩られた伏見の風景を舟から眺めることができます。

伏見の酒の歴史は文禄・慶長年間に始まる。豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町として大きく栄えた伏見は、酒の需要が高まり、江戸時代には、宿場町・港町として水陸要衝となり、さらに発展し酒造家も増え始め、酒どころの基盤が作られていきました。
酒蔵に柳のかかる風景は、何とも趣深い風景です。

江戸時代、伏見・大坂間を上下し主として乗客専用の船でした。
船が男山を過ぎる頃くらわんか船が出て、客に酒肴を売り始めます。
米を三十石積めることからその名が付きました。
現在では、復元された木造船・三十石舟が定期運行しています。

京都の豪商・角倉了以は、淀川による京都と大阪間の便をより発展させるため、新たに京都二条と伏見を結ぶ高瀬川運河の開削に着手
しました。
この運河を利用することによって淀川を経て、京都と大阪が結ばれ、やがて伏見は港湾商業都市として、飛躍的な発展をみることになりました。
この偉業を称え、高瀬川(宇治川派流と濠川が合流する付近に残っている小さな川)のすぐ横に石碑が建てられたのです。

その昔、境内からたいそう香りの良い水が湧き出て、病人がこれを飲んだところ快癒した。これにちなんで御香宮と称したと言われている。
今尚、湧き出る「御香水」は日本名水百選に選ばれ、自由に飲むことができます。
また、10月上旬には「伏見祭」とも呼ばれる御香宮の神祭が行われ、洛南随一の大祭として有名な祭で、3基の神輿が拝殿に飾られる。

三栖神社の神幸祭で「炬火祭」と呼ばれる神事があります。これは、壬申の乱で即位した天武天皇(大海人皇子)が朝廷との決戦(大津行幸)に向かう際、三栖の地を通過され、このとき村の人々が、炬火をともして夜道を照らした故事に由来しています。
この「炬火祭」が行われるのは10月中旬頃。祭に担がれる大炬火は、全長12mにもおよぶ。

昔から伏見の酒は、伏見に湧き出る地下水を用いており、この伏水はカリウム・カルシウムなどをバランスよく含んだ中硬水で、この伏水によって醸される伏見の酒は、きめ細かく、まろやかな風味が特徴です。
ちなみに、灘の酒は硬水を使っているため、辛口の酒になりやすいと云われ「男酒」と、これに対し伏見の酒は口当たり優しいため「女酒」と呼ばれています。
また、この酒蔵沿いは5月頃になると菜の花が一面に咲き誇りとても趣ある風景になります。

港町伏見の中心に位置した寺田屋は、薩摩藩士の定宿として賑わい、また幕末の志士坂本龍馬も好んで利用し、慶応2年(1866)1月に起こった「寺田屋事件」の舞台ともなる船宿です。
幕府の捕手が忍び寄った時、入浴中だった龍馬の恋人・お龍が異変に気付き、裸のまま二階に駆け上がり、龍馬たちに知らせ、龍馬は手傷を負いながらも命からがら難を逃れたと言われています。
現在も営業しており、刀傷の残る柱など生々しく残っています。

深紅の土塀と竜宮造りの門が周りの緑とあいまって一際目を引く。
長建寺は伏見の発展につくした奉行・建部内匠頭の創建になる。
一般の弁財天は、二臂で琵琶を持っているのに対して、本尊の八臂弁財天は非常に珍しい。これは、河の守護神として八臂を持って強大な威力を示しているのであって、建部内匠頭があえて中書島に祀った本心は、水運の町・伏見の繁盛にあったのだと言われており、開運・良縁・財宝の御利益があります。

江戸時代、京都の港町として栄えた伏見。明治維新後も伏見港は、京都・大坂・奈良の三都を結ぶ水運として利用され、明治2年(1869)には外輪船が就航するほど栄えた港でした。
大正6年(1917)多くの行方不明者が出た大洪水をきっかけに、また当時、水運で最も利用の多かった宇治川の水位が不安定であったため、昭和4年(1929)に閘門が建設されました。当初は、三十石舟を始め、物資輸送の貨物船など年間2万隻以上が往来していたそうです。
